2024/07/10 16:44
7月6日誕生日のフリーダ・カーロ。日本では、そこまで知名度が高いわけではありませんが、彼女の熱狂的なファンは世界中に多く存在します。
なぜそこまで熱狂的なファンがいるかというと、彼女の壮絶な人生にあります。
今回は、その壮絶な人生に最後まで立ち向かった強くて美しいフリーダ・カーロについて徹底解説していきます。
〜目次〜
1.フリーダ・カーロの人生をざっくり解説
2.悲劇① 交通事故について
3.悲劇② 夫の浮気について
4.悲劇③ 右脚切断について
5.繋がった眉毛の謎
6.フリーダ・カーロの人気の理由
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1.フリーダ・カーロの人生をざっくり解説
フリーダ・カーロ
(1907年7月6日〜1954年7月16日)
メキシコの首都メキシコシティの郊外で生まれたフリーダ・カーロ。彼女は小さい頃から体が弱く、6歳で小児麻痺を患い右脚を悪くします。
その後、右足にコンプレックスを持った彼女はズボンやロングスカートを履くようになります。当時のメキシコで女性がズボンを履くことは珍しく、その独特なファッションが彼女のトレードマークとなりました。
明るく活発な彼女は気も強く男らしい部分もあり、度々男装もしていたようです。
↑男装するフリーダ・カーロと姉妹たち
小児麻痺で右脚が悪かったものの元気に育ち、頭も良くメキシコで一番の難関高校に合格します。
将来は医者になることを目標にし、日々勉学に励んでいたのですが、18歳のある日通学中のバスで交通事故に遭い全身20ヶ所以上を骨折する大怪我を負ってしまいます。
その後、奇跡的に普通の生活を送ることができるようになるまで回復した彼女は、医者を諦め画家へ転身します。
若くして彼女はメキシコ画家の男性ディエゴ・リベラと結婚しますが、なんと彼はフリーダの実の妹と浮気。
一度は離婚しますがディエゴの懇願により再婚。
その後も画家としてフリーダも活躍していきますが、交通事故の後遺症により晩年は右脚壊死のため切断。
肺炎を併発し、他界。1954年享年47歳、壮絶な人生に幕を下ろしました。
2.悲劇① 交通事故について
《折れた支柱》1944 年 油彩
彼女が18歳の時、高校にバスで通っていたらしく、当時付き合っていた恋人と一緒にバスに乗っていたらしいです。隣同士で椅子に座っていたのですが、そのバスに路面電車が追突してバスはぐちゃぐちゃになったと言います。
フリーダの恋人は奇跡的に軽傷だったのですが、フリーダは体に鉄の棒が突き刺さり、意識不明の重体になりました。彼女の体に刺さった鉄の棒を抜こうとした人が塗装職人で金粉の入った袋を持っていたらしく、その金粉の袋が破れてフリーダの体の上に降りかかり、フリーダは血まみれの金粉まみれで赤色と金色の絵画のようにキラキラと輝いていたらしいです。
事故の後フリーダは1ヶ月ほど入院したのですが、入院費が払えなくなり怪我が完治しないまま退院したと言われています。
高校も退学して医者を諦め、恋人とも自然消滅して自宅のベッドで寝たきりの状態が続いたらしいのですが、フリーダのお母さんがフリーダのために絵を描ける環境を整えてくれて、ベッドの上で制作していたそうです。
3.悲劇② 夫の浮気について
《ちょっとした刺し傷》1935年 、油彩
交通事故から2年ほど経ち、なんとか普通の生活を送れるようになったフリーダは、当時メキシコで一番の画家と言われていたディエゴに興味を持ちます。この時フリーダは医者を諦めて画家を目指しており、ディエゴの元に自分の絵を持っていってディエゴに批評を求めたと言います。
ディエゴは彼女の絵を一目で気に入り、彼女自身にも惹かれていきます。ディエゴは当時すでに別の人と結婚していたのですが、離婚してフリーダと結婚します。
ディエゴは元々浮気性で何人かの女性と関係を持っており、子供も何人かいたそうです。
フリーダはそんな彼の性格を承知の上で結婚し、度重なる浮気も許してきたのですが、ある日ディエゴがフリーダの妹に手を出してしまいます。
ディエゴの性癖として、愛する人を愛するが故に傷つけたくなるという衝動があったらしく、フリーダにはかなり辛い事をたくさんしてきたそうです。
フリーダもずっと耐えてきたのですが、妹との浮気は流石に許すことができず、半同居や別居を繰り返して結局離婚しました。
けれどディエゴはフリーダのことを愛していて、彼女に再婚を懇願します。
結局フリーダは
1.生活費は自分の稼ぎで賄う
2.フリーダとは性的関係を結ばない
などの条件をつけて再婚、フリーダが亡くなるまで生涯寄り添ったそうです。
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4.悲劇③ 右脚切断について
《人生万歳》1954年、油彩
46歳の時、交通事故の後遺症で右脚が壊死し、膝までの切断を余儀なくされます。
体が丈夫ではなかったものの、歩き回ることが好きだった彼女にとっては辛すぎる出来事でした。
彼女は生きる気力を失い1年ほど制作活動をストップしますが、再婚したディエゴや大切な人の応援により再び絵を描くようになります。
晩年には祖国メキシコで展覧会を開催、
「人生万歳(Viva la Vida)」という文字が書かれたスイカの絵が遺作だと言われています。
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5.繋がった眉毛の謎
《ザ・フレーム(自画像)》1938 年、油彩
メキシコ人の彼女は太い眉毛をメキシコのアイデンティティとして、絵画上では実際の自分の眉毛よりも濃く描いています。
繋がった眉毛は彼女のチャームポイントであり、彼女自身とても気に入っていたようです。
また彼女は口髭もうっすらと生やしており、夫のディエゴも彼女の口髭を好んでいたと言います。
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6.フリーダ・カーロの人気の理由
若くして交通事故に遭い、体が不自由になってしまったフリーダ・カーロ。しかし彼女hどんな状況になっても最後まで絵を描く事をやめませんでした。
そんな彼女の魂がこもった絵は、今も世界中の人々の心を掴んでいます。